美土利会会報 徳島大学工学部土木工学系同窓会

短大17回・18回卒の合同同窓会 2018年

 

短17(昭52)年卒右城 猛

(株)第一コンサルタンツ

代表取締役社長

 

 短大17回・18回の合同同窓会が7月22日(日)13時より徳島県建設センターであった。

 参加者は、恩師が村上仁士先生、澤田勉先生、水口裕之先生、昭和52年卒が漆川智之氏、藤田清人氏、そして私、昭和53年卒が斎藤満宏氏、中川賢氏、増田学氏、山田豊彦氏、吉田健治氏で合計11名であった。

 今年の4月頃に徳島の日栄建設の斎藤社長から会社へ電話をいただいた。「今年の夏、同窓会を開催するので右城さんには是非出席してもらいたい。右城さんの都合の良い日を教えてくれないか」という内容であった。

 私は昭和61年3月に、それまで15年間お世話になった徳島を離れ高知に帰り、第一測量設計コンサルタント(現在の第一コンサルタンツ)に入社した。そのときに、藍住のわが家を売却する際にお骨折りいただいたのが斉藤社長であった。

 それから32年が経過した。3人の恩師には土木学会や建設コンサルタンツ協会などでお会いする機会があったが、藤田社長以外の同窓生とは機会がないまま今にいたっていた。

 会席料理を食べながら全員が順番に自分の生い立ちや近況を話した。

 恩師の先生方からは、「商業高校を卒業し大阪で働いた後に徳大に入学した。生物で受験したが入学時の成績はビリであった。物理は習っていなかったので苦労した。人生を振り返って見ると何が良いか分からない」、「4歳のとき父の故郷の徳島へ引き上げてきた。食料がなかったのでイナゴも食べた。工業高校を卒業し大手電機メーカーに就職した。2年半働いて学問の必要性を痛感した。1日14~15時間、5ヶ月間必死で勉強した結果、徳大に入れた。この時の経験から、必死になれば何でもできると思っている」、「現在、高松大学で”人間と環境”という講義をしている。環境は専門でなかったので、上月先生の講義を聴講して勉強した。このとき人生で一番勉強したように思う」といった逸話を聞かせていただいた。

 刻苦勉励して教授になられた先生方であったので、なおさら私たち勤労学生の気持ちを理解してくれていたのだと痛感した。感謝の念に堪えない。

 参加された全員に共通することは、貧困な環境で育ったゆえに反骨精神が強く、それが功を奏して今の幸せな生活につながったのだろうと思った。

念願の新社屋が完成 2016年

 

短17(昭52)年卒右城 猛

(株)第一コンサルタンツ

代表取締役社長

 

 昨年の8月31日に念願であった新社屋を高知市介良に完成させることができました。新社屋を建設した経緯や設備について紹介させていただきます。

 昭和61年に「故郷を守りたい」という思いで高知に帰り、今の会社に入社しました。平成19年に社長に就任したとき、「高知を守る」を経営のスローガンに掲げました。建設コンサルタントを生業としていますから「高知のインフラを守る」のは当然ですが、「高知を地震から守る」ことが私に課せられた使命であると考えました。

 高知では南海トラフ巨大地震対策が最重要課題です。わが社でもBCP(事業継続計画)を策定していたものの、社屋は津波浸水区域にあり、旧耐震基準による建築でした。地盤は液状化の恐れがありました。

 BCPを絵に描いた餅にしないためには、津波浸水区域外へ社屋移転する以外にないのですが、景気が好転する気配はなく、経営のことを考えるとその選択はありませんでした。

そんなときに、あの東日本大震災が起こりました。3ヶ月後に、高野光二郎氏(現・参議院議員)が「宮城県を元気にする高知応援隊」を結成したので、それにわが社の社員14名も加えていただき、現地へ行きました。

 津波による被災状況を目の当たりにしたとき、「どんなことがあっても社屋を被災さてはいけない。発災直後に現場に駆けつける準備を整えておかなければならない」と思い、5年以内に津波が来ない場所に新築移転することを社員に約束しました。

 移転すると言っても、建築資金の目途も土地のあてもありませんでした。高知市の平地部はほとんど津波で浸水します。周辺の高台は市街化調整区域に指定されています。社屋の敷地には1,000坪が必要と考え探し回ったのですが、社員の通勤や予算のことも考えると、適地が見つかりませんでした。

 偶然、平成25年9月に現在の場所が見つかりました。高知市の東端に位置し、隣は南国市です。7キロ北には高知自動車道南国IC、1キロ南には高知東部自動車道南国南IC、6.5キロ東には高知空港があります。ロケーションは最高です。市街化調整区域ですが、既存宅地なので社屋を建てられます。幸運にも理想の土地が見つかりました。

 平成24年12月に起きた中央道笹子トンネル天井板崩落事故をきっかけに、道路施設点検業務が大幅に増えたことで予想以上に業績を伸ばすことができ、これによって資金の問題も解決できました。

 新社屋は地域の防災拠点としての機能を備え、社員が誇りを持てる理想的な建物にしたいと考えていました。それで「社屋新築準備委員会」を立ち上げ、社員が希望する建物の間取りや設備を検討してもらいました。

 その一方で、徳島大学の上月康則先生をはじめ、愛媛大学、高知大学、高知工科大学の先生方にお願いし、防災拠点としての課題や対策についてアドバイスをいただきました。

 社屋の構造設計は、短大で同級であったフジタ建築設計事務所の藤田清人氏に、建築工事は母校高知工業高校の大先輩が創業した岸之上工務店に、舗装工事は短大の先輩の大西隆氏が勤務する前田道路に担当してもらいました。

 東北の震災復興と東京の建築ラッシュで資材や職人の確保が困難な状況であったにも関わらず皆様のおかげで、当初の計画通り平成27年8月末に竣工することができました。私が決心して4年2ヶ月後でした。

 社屋は公共の避難所と同等の耐震強度を持たせました。非常時用発電装置、防災井戸、衛星電話そして防災教育のための研修室なども完備しました。

 熊本地震直後に会社がある介良野自治会からの要望を受けて、研修室と食堂を緊急避難場所として開放する災害協定を結びました。

 今後はさらに社業を発展させて、高知の雇用を守り高知のコミュニティを守れる企業を目指したいと考えています。

2016年9月13日

金比羅宮への初詣 2015年

 

短17(昭52)年卒右城 猛

(株)第一コンサルタンツ

代表取締役社長

 

 私は、平成18年、54歳のときから毎年欠かすことなく金刀比羅宮に初詣をしている。動機は3つあった。

 1つは厄払い。平成17年は私にとって最悪の年であった。1月12日に父が心筋梗塞で突然他界。その直後には私が糖尿病で入院した。4月には,ある雑誌に掲載された私の記事に対して読者からクレームが入った。7月には大学に行っていた娘が大きな交通事故を起こすなど,災いが次から次へと襲ってきた。見放された運をなんとか引き戻したいと思ったのである。

 2つ目は運動のため。金刀比羅宮に参拝するには785段の石段を登らなければならない。糖尿病には良い運動になると考えたのである。

 3つ目は私が開発に関与した製品の普及祈願。平成14年に製造・販売を開始した製品は,その年に高知県のエコ産業大賞の「大賞」を受賞。翌年にはテレビ番組「企業未来・チャレンジ21」で全国に放映されるなど順調な滑り出しであったが、その後いろいろな問題が発生し、解決を迫られていたのである。

 私はこれまで信仰心の欠片も持っていなかった。しかし最近は,金比羅参りをすれば必ずご利益があると思うようになった。

 金刀比羅宮に行ってまず驚かされるのは,参道の両脇に寄進者の氏名と金額を刻んだ石柱が無数に立てられていること。大きい石柱には金一封と刻まれている。1千万円以上寄進されているのだろう。

 金刀比羅宮には毎年100万人が参拝している。御利益がなければ,何百年も信仰が続けられるはずがないと思うのである。

 初詣を行った年から不思議と不運に見舞われることがなくなった。開発した製品の問題も無事解決し,大ヒット商品になった。

 国や県の公共事業予算は、平成10年をピークに毎年削減され平成19年にはピーク時の1/3まで落ち込んだ。会社の業績もピーク時の1/2まで落ち込み営業損が出るまでになっていた。

 そんな折に社長に就任した。この危機から脱出するには、これまで以上に神様のお力添えをいただかなければならない。平成20年からは本宮だけでなく,さらに583段奥にある巌魂(いづたま)神社まで足を伸ばしている。

 平成20年度を底に会社の業績は順調に回復し、平成25年に創立50周年を盛大に祝うことができた。今年の9月には念願の新社屋を新築し、盛大に落成祝賀会を挙行できた。

 プライベートでは二人の娘が結婚し、三人の孫に恵まれた。今年の5月には、南国市に二世帯住宅を新築し、次女たちと一緒に住んでいる。

 金刀比羅宮には,参拝者が守らなければならない「金刀比羅本教教憲五条」がある。少し長いが全文を紹介する。 

 ① 自己の生命は遠い祖先の神々に連り,なお子々孫々に繋がる永遠かつ絶対であることを忘れないこと。

 ② 自分も神の分身であるから日々祓の修行を怠らないで心身共に清浄潔白を保つように勉めること。

 ③ 不平を言ってはならない。神恩の感謝と歓びを祓以て一切を処理すること。 

 ④ 神人合一の境地に達するためには浄明・正直を旨としなければならない。

 ⑤  人は何れ高かれ低かれ神となるものであるから,高い神となるよう日々の修行を怠ってはならない。

 もう少しで金比羅初詣10周年を迎えるが、未だに教憲五条を守れていない。

 社屋新築を機に社長室に神棚を構え、日々精進を心掛けている。

金比羅宮巌魂神社(2015年1月2日)

糖尿病奮闘記 2008年

 

短期大学部17(昭和52年卒)

右城 猛

㈱第一コンサルタンツ代表取締役社長

 

 朝5時に起きてコップ1杯の水を飲み,約4kmの道のりを30分かけてジョギングし,朝風呂に入って食事をする。これが最近の日課になっている。

 運動を始めたのは平成17年1月27日の入院からである。「尿からケトンが出ています。死にますよ。」と医者に言われて入院した。血糖値333mg/dl,HbA1c(ヘモグロビンA1c)9.5%,ケトン体+3。元々55kgあった体重は47.5kgまで減っていた。

 インシュリンの効きが悪くなると,ブドウ糖が細胞の中に取り込まれなくなって血液の中に溢れ血糖値が上る。ブドウ糖を取り込めないと生体機能が維持できなくなるので,脂肪や筋肉の細胞を分解して代替えエネルギーとして取り込もうとする。そのときにケトン体が作られ,これが尿に混ざって出ていたのである。まるで老人の体のように肉はそげ落ち,座布団を敷かないと尻の骨が床に当たる状態になっていた。この状態が続けば体液が酸性に変わり死亡するというのである。

 日本糖尿病学会の最近の基準では,正常値は空腹時血糖値が110mg/dl以下,HbA1cが4.3~5.8%である。空腹時血糖値が126mg/dl以上あるいはHbA1cが6.5%以上あると糖尿病と呼ぶようである。

HbA1cとは赤血球の中にある蛋白(ヘモグロビン)とブドウ糖と結合したもので,血液中のブドウ糖が多くなるほどこの値が高くなる。血糖値は検査直近の食事に左右されるが,ヘモグロビンA1cは1~2ヶ月前からの血糖の状態を推定できるとされている。

 糖尿病治療で重要なのは日々の運動である。退院後は朝夕の通勤を車から徒歩に変え,昼は徒歩で自宅に帰って食事をとるようにして毎日7km以上歩くようにしてきた。休日にはウォーキングやトレッキングを楽しむように心掛けてきたが,HbA1cが正常値まで下がることはなかった。

 今年の4月13日,瀬戸大橋開通20周年記念事業イベント「健康マラソン,健康ジョギング,健康ウォーク」があったので,健康ジョギングに妻と一緒に参加した。瀬戸大橋を全面通行止めにして行われるため時間制限があり,8km を80 分で走らなければならない。走るのは高校時代以来。35年振りであるのでトレーニングを積むことにした。最初は300mがやっとであったが半月も続けると,2kmを休みなしに走ることができるようになった。それと驚くべき効果が現れた。 

 実は,昨年の10 月頃より全身に湿疹がでだした。病院でもらった薬を飲んだり軟膏を塗ったりしても治らなかった。それがだんだん消えてきたのである。ザラザラに荒れていた肌はすべすべしだした。ジョギングをすると汗をかく。汗をかけば水をたくさん飲む。新陳代謝が良くなったのだろう。HbA1cの値も3月に7.8%あったのが,1ヶ月で6.7%まで下がった。6月には6.2%となり,医者もびっくりするほどであった。

 それから一ヶ月が経った。毎朝運動しているにも関わらずHbA1c が6.4%に戻った。以前は宴会に行ってもビールをグラス1杯と,お湯割りの焼酎をコップ2杯までと決め,繁華街から自宅まで4kmの道のりを徒歩で帰ってきていたのであるが,いつのまにか入院する前のように記憶がなくなるほど酒を飲み,タクシーで帰るといった生活に戻っていたのである。糖尿病治療の基本は食事療法。カロリーを抑えた食事が何よりも大事ということを改めて認識させられた。

 厚生省が平成9年に行った糖尿病実態調査によると,糖尿病の可能性がある人は1370万人だそうである。皆さん,気を付けましょう。

よさこい祭り 2006年

 

短17(昭52年卒)

右城 猛

(株)第一コンサルタンツ専務取締役

 

 

 よっちょれよ よっちょれよ

 よっちょれ よっちょれ よっちょれよ

 よっちょれ よっちょれ よっちょれよ

 高知の城下へ 来てみいや

 じんばも ばんばも よう踊る よう踊る

 鳴子両手に よう踊る よう踊る 

 

 毎年8月9日~12日には「よさこい鳴子踊り」の曲が流れ,高知市は街中が祭り一色に包まれる。9日が前夜祭,10日と11日が本番,そして12日が後夜祭と納涼花火大会である。53回目となった今年の「よさこい祭り」は,高知市内の15箇所に設けられた競演場と演舞場で170チーム,約1万7000人の踊り子が鳴子を両手に,真夏の太陽の下で声を枯らし,身を焦がして乱舞した。

 戦後の不況を吹き飛ばし,夏枯れの商店街の振興を促すことと,市民の健康と繁栄を祈願するため,昭和29年に高知商工会議所が中心となって始めた祭りであるが,札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」,埼玉県朝霞市の「関八州よさこいフェスタ」,原宿表参道の「元気祭スーパーよさこい」などに見られるように,全国各地で本家高知を凌ぐような「よさこい祭り」が次々と誕生している。

 鳴子踊りの魅力は,ルールが少なくて自由度が高いこと。よさこい節の入った曲で,鳴子を持って踊るだけ。それさえ守れば衣装も,振り付けも,音楽も自由にやり放題。いかにも高知らしい,それが若者を惹きつけて止まないのだろう。

 高知に帰ってきて20年が経つ。鳴子踊りをじっくり見たことは一度もなかった。昨年,補償コンサルタント協会が発刊している月刊誌のグラビアを飾る写真を撮る必要があったので,本番の2日間カメラを携えて演舞場に行った。以来,鳴子踊りをカメラに納めるのが私の楽しみの一つになった。

 私にダンスの知識はまったくない。リズム感もない。しかしファインダー越しに眺めると,踊り子の発するエネルギーが増幅され,大きな波動となって私の体内に伝わってくるのを感じる。波動の大きさは,踊り子の笑顔,躍動感,容姿によって決まってくる。気に入った美人の踊り子が目にとまると,思わずシャッターを押す指に力がこもる。知人や身内となれば理屈抜きに興奮する。

 今年は,この春に大学を卒業して社会人になった私の下の娘も踊り子の中にいたので,妻と一緒にデジカメとビデオカメラを携えて「追っかけ」をした。娘をビデオカメラで追ったのは,小学校の運動会以来である。本番二日目の夕方には,長女も職場から駆けつけた。家族にとって想い出に残る楽しい盆休みとなった。

 その一方で今年の「よさこい祭り」を寂しく感じた。土木業界から1チームも参加がなかったのである。建設業の衰退を見せつけられる思いがした。

 いつの日か,我が社の社員とその家族が一緒になって,鳴子を両手に大空に舞い上がる姿を見られる日が来ることを夢見ている。

日本綜合警備保障のチームで踊る私の娘

我が家のお宝 1998年

 

短17(昭52年卒)

右城 猛

(株)第一コンサルタンツ

 

 卒業して21年が経過した。この間,恩師や多くの先輩から貴重なご助言,ご鞭撻を賜ってきた。その中の一人に名古屋大学名誉教授の成岡昌夫先生(高知市出身)がいる。

 私が最初に先生の名前を知ったのは,高知工業高校時代であった。三年間使用した応用力学(実教出版)の教科書の監修者が成岡先生であった。徳大での教科書には丸善の構造力学Ⅰ,Ⅱが用いられたかが,この本の共著者の一人でもあった。

 先生に初めてお会いしたのは,平成6年11月。当時,高知県土木部技監であった白川和義氏(土木38年卒)が企画された土木技術情報懇話会の席(高知共済会館)であった。私にも案内状が来ていたので,社員数名と共に参加させていただいた。

 成岡先生の講演の後,誰も質問する者がいなかったので,私が手を挙げて「先生はこれまで沢山の著書を上梓されておられますが,情報の収集やその整理をどのようになさっているのか教えて下さい。」という主旨の質問をした。

 講習会の後,会社に帰り着くなり白川先輩から「成岡先生が君の質問内容に感心し,どのような男かと訊ねられた。専門書も出版している熱心な男であると説明したところ,本を送るようにとの要請があったので貴方の著書を先生の自宅に送って欲しい」という電話があった。それで,その日の内に,私の論文集,擁壁の設計法と計算例,中小橋梁の計画の三冊を宅配便で送った。

 それから4日後に先生から手紙が届いた。先ず,驚かされたのは,便箋ではなく,使用済みのコピー用紙をA5サイズに切断し,その裏に手紙が書かれていたことである。

(1) 会場で質問されただけあって貴殿のバイタリティーには敬服いたしました。

(2) 貴兄に本を見せて下さいと言ったのは,熊工高出身の方が実務者向きの本を出版したのだが,用字例がデタラメであったので貴兄の場合はどうかなと考えたのですが,失礼しました。

(3) 助言:①毎日コンスタントに努力,②他人の1.5倍働く,③この時間を生み出すには,枕に頭をつけた途端に熟睡に入る訓練をする(アルコール抜きで),④記事に必要なことは直ぐメモする。出所を必ず記入しておくこと。

 といったことと,拙著に対する細かいコメントが5枚の用紙に書かれていた。

 12月23日に再び封書が届いた。今度は,先生宛にきた封筒の宛書をマジックで消し,横の空白部に私の住所,氏名が書かれていた。こんな方法もあるのかと又も驚かされた。便箋3枚の裏と表にギッシリ以下のようなことが書かれていた。

(1) 拙著に対する感想と再度のコメント。

(2) 助言:①貴兄はさらに土木学会誌,土木技術,土木施工,道路の専門誌に投稿するように努めること,②貴兄以外の貴社の二人の技術士には道路会議で発表させること,③社員には技術士補,RCCMをのど自慢荒らし流に受けさせること。

 先生とお付き合いさせていただく中で,一度だけ失礼なことをした。ある年の11月末にドイツの構造物照査規定に関する邦訳版を送っていただいたのでそのお礼を年賀状に書いたところ,葉書で良いから直ぐ書くべきだと注意を受けた。先生は,常に鞄に葉書を数枚準備し,直ぐ礼状を書いておられるようである。以後,気を付けているがなかなか実行するのは難しい。

 平成8年5月に高知に帰ってこられたときには,当社で「縮少定理による断面力検証法」を講義していただいた。また,平成8年11月には,私が理事をしている高知県橋梁会の20周年記念式典で「戦後における橋梁の歩み」と題して講演をしていただき,好評を博した。

 昨年の年賀状には,正月も元旦の午前中以外は休むことなく論文を書き,早く学位を取得しなさい,と書き添えられていた。この助言のお陰で,「剛性擁壁の合理的な土圧評価法と落石の運動に関する研究」と題する論文を半年間で書き上げることができた。

 合理的な土圧評価法に関する研究は愛媛大の八木則男教授に,落石の運動に関する研究は金沢大吉田博名誉教授にお世話になったのであるが,先生は八木先生の恩師であり,吉田先生が学位を取得した際の主査でもあることを知り,不思議な縁と思うと同時に,改めて先生の存在の大きさを痛感させられた。

 その後,先生から「右城猛君が愛媛大学より博士の学位記を授与さされたのを記念してここに贈る。平成9年11年吉日 京都成岡昌夫」と記された置き時計が送られてきた。学位記と並べて床の間に飾ってある。我が家の家宝として。

博士(工学)のお祝いに成岡昌夫先生から寄贈された時計

家 族 旅 行 1996年

 

短17(昭52年卒)

右城 猛

(株)第一コンサルタンツ 常務取締役

 

 卒業して19年が経過しましたが、短大52年卒の皆様お元気でしょうか。

 15年間お世話になった徳島から高知に帰郷して丸10年が経ち、小さかった二人の娘も中学一年生と二年生になった。高知の小学生は、私立中学校受験のため、4~5年生の頃から80%の者が進学塾に通う。娘達も例外に漏れず3年くらい前から受験戦争に巻き込まれ、家族揃ってゆっくり過ごす機会を失っていたが、二人の娘とも何とか私立中学校に入学でし、時間に余裕ができてきた。そこで、北見市で開催される地盤工学会の研究発表会への参加を兼ね、6月18日から20日にかけて家族と二人の社員と共に道東の旅に出かけた。

 6月18日の午後2時頃女満別空港に着き、その日に網走市内とサロマ湖を観光、翌日の午前中は学会で研究発表した後、美幌峠、屈斜路湖、摩周湖を巡って阿寒湖畔のホテルで宿泊し、最終日は釧路湿原、釧路市内を観光して釧路空港から帰る、これが当初の計画であった。ところが、女満別空港上空には低い雲がたちこめており飛行機は着陸できず、私たちが降ろされたのは新千歳空港。「航空運賃は払い戻しするので、後は勝手にしてくれ」ということで、北海道をJR特急列車で横断する羽目になった。予約してあった網走市内のホテルへ到着したのは夜中の11時。それにしても「北海道は広い」と実感させられた。これが昼間であれば車窓の景色を楽しむこともできたのだが、札幌から5時間30分の夜中の旅はさすがに退屈で、本当に疲れた。

さい先の悪い旅も、翌日以降は天候に恵まれ北海道の大自然を満喫することができた。特に、子供達が感動したのは、美幌峠から阿寒湖までの山道でのキタキツネ、蝦夷鹿との出会いであったようだ。キタキツネとは8回、蝦夷鹿とは2回も対面することができ、手に持っている菓子を食べるキタキツネに大喜びしていた。阿寒湖畔のホテルでは、家族部屋を予約してあり、子供達と「枕投げ」ができるのではないかと密かに期待していたのだが、旅の疲れとアルコールのため誰よりも先に私が眠ってしまっていた。

 子供達はいつの間にか成長した。喜ばそうと戯けてみせれば「馬鹿な親父とは付き合いきれない」といった態度をとるようになった。それぞれ自立していくのは喜ばしいことである。が、反面自分の手の届かないところにいっているようで何とも寂しい気がしてならない。ひょっとして、子離れできない親父になっているのかも。

 今回の家族旅行で何よりもの収穫は、娘に成長した二人の子供と手をつないで歩き、親子で川の字になって寝られたことだった。それにしても旅は日頃できないことを可能にするから不思議だ。

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社歌【ガードレール】

 作詞:河村泉兵衛

 作曲:金子裕則

 歌唱:OTOGI with 当社社員


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