効率化の弊害 2006年
(株)第一コンサルタンツ
専務取締役 右城 猛
◆はじめに
任意団体であった高知県測量設計業協会が,昭和50年に社団法人としてスタートを切って30年が経った。この間わが国は高度経済成長に支えられ,本州四国連絡橋,関西国際空港,東京湾岸道路など超大型の建設プロジェクトを次々と成し遂げてきた。それに伴って研究開発も積極的に行われ,わが国の土木技術を世界のトップ水準にまで押し上げた。一方,西欧に比べて劣っていた社会基盤整備の遅れを取り戻すために,技術のマニュアル化や分業化など業務の効率化も進められてきたが,それによる弊害が顕在化してきている。
本稿では,この頃,気になっている「効率化の弊害」について述べることにする。
◆マニュアルの弊害
公共事業を通じて得られた数々の知見は,道路橋示方書や道路土工指針などのマニュアルに盛り込まれてきた。その結果,マニュアルの厚さは30年前の数倍に増えた。専門的知識に乏しい技術者にとって,マニュアルは非常に便利な存在であるが,マニュアル一辺倒になると正しい判断ができなくなる。その例を一つだけ紹介しよう。
擁壁工指針には,擁壁の設計法が明記されている。土圧を計算する際に用いるべき土の単位体積重量や内部摩擦角もはっきり数値が示されている。このため大抵の方は「擁壁の設計法は確立されている」と思いこんでいる。果たして,そうだろうか。
昔は設計計算をせずに,経験だけで形状を決めていた擁壁もある。このため国道にも随分と小さい断面の擁壁が施工されている。そんな擁壁でも長年安定している。クーロン式で求められる値より土圧が小さくないと説明できない。たまに回転して前に起き上がった擁壁を見かける。土圧が原因なら,擁壁が前に起き上がるほど土圧は増加し,転倒の安全率は低下するはずである。擁壁が起き上がったまま静止している現象を説明できない。
私は,降雨による浸透圧の影響に違いないと睨んでいる。起き上がった擁壁の背後を丹念に調べると,盛土との境目に隙間ができているので辻褄が合う。そうだとすれば,所定の水抜孔を入れておけば擁壁に水圧は働かないとしたマニュアルの考えは間違っていることになる。
このような問題は擁壁だけでない。他にもたくさんある。マニュアル技術者で終わるのではなく,マニュアルの中の何が正しくて何が間違っているか,自分の経験に照らして判断できる能力を備えた技術者になりたいものだ。
◆分業の弊害
最近,既に終わっている設計業務が,施工段階になって変更を余儀なくされるケースが増えている。当初の推定岩盤線と違うため,構造物の高さや基礎杭の長さを変更せざるを得なくなった,というのが大半の理由だ。
岩盤線は誤差を伴うのは当たり前なのに,地質屋が描いた岩盤線は寸分も違わないと勘違いして設計する技術者が増えているためである。ボーリング調査結果から推定岩盤線を描いた経験があれば,岩盤線が如何に不確実なものであるか分かるはずである。現場施工の経験がある技術者なら,想定内の誤差に対しては変更しなくても済む設計をするだろう。
リスクを事前に予測し,対策を考えられる技術者が少なくなりつつある。分業による大きな弊害である。
◆パソコンの普及による弊害
高性能で安価なパソコンが普及し,構造解析や設計計算などの専用ソフトが比較的容易に入手可能になったことで土木技術は様変わりした。橋梁の地震時における時刻歴応答解析や有限要素法による変形解析など,大型コンピュータでしかできなかったことが,いとも簡単にできるようになった。素晴らしいことである。
その一方で,パソコンは技術者を白痴化させる原因にもなっている。構造力学の知識がなくても市販のソフトを使えば,連続梁やラーメンなどの不靜定構造物の解析ができるので,勉強する意欲のない技術者が増えているように思える。片持ち梁の曲げモーメント図さえ正しく描けない技術者が,橋梁の設計計算をしているかと思うと空恐ろしくなる。
パソコンを使って設計をするにしても,ソフトに使われている計算式の意味や制約条件を理解した上で使用するべきである。せめて工業高校で習う構造力の知識程度は,教科書を復習するなりして常に身につけておいて欲しいものだ。
◆あとがき
いつの間にかこの業界でお世話になって35年が過ぎた。「歳月,人を待たず」を実感させられるこの頃である。拙文が,高知県測量設計業協会の将来を担う若い技術者にとって些かなりとも参考になれば幸いである。
マチャプチャレ 2006年
(株)第一コンサルタンツ
専務取締役 右城猛
ネパール北部には,世界最高峰のエベレストをはじめとする標高6000~8000m級の山々がヒマラヤ山脈を形成している。その中のアンナプルナ連峰は,トレッキング愛好家にとって一度はチャレンジしてみたい憧れの山であろう。アンナプルナ・トレッキングのスタート地点になっているのがポカラである。
2001年11月,地盤自然災害に関する国際学会がネパールの首都カトマンズで開催された。学会の後,私は愛媛大学のグループによる巡検ツァーに同行してポカラを訪問した。
ポカラはカトマンズから西へ240km離れた位置にあり,カトマンズとはプリテイビ・ハイウェイで結ばれている。ハイウェイと言ってもアスファルト舗装をしただけの二車線道路。スピードは時速40~60km位しか出せない。巡検しながらの移動であったので,カトマンズからポカラまで約7時間を要した。
ポカラは標高850mの盆地に開けた町であるが,標高8000m級のアンナプルナ連峰を間近に眺めることができる。真っ白な雪氷に被われて光り輝くヒマラヤの中でも,際だって美しいのがポカラのシンボル,マチャプチャレであろう。
11月8日,真っ青に澄み切った天空を突き刺すようにマチャプチャレがそびえ立っていた。その雄姿に身震いするほどの感動を覚えた。山の形が魚の尻尾のように三角形をしているのでフィシュ・テイルとも呼ばれている。アンナプルナ連峰に比べるとはるかに低いが,ポカラからの距離が近いため最も高く見える。
ポカラの中心部に,土産物店やレストランが湖畔レイクサイトに軒を並べる大きな湖がある。ペワ湖という人工湖である。この湖にボートを浮かべ,そこから眺めたマチャプチャレは最高に違いない。もしも再び訪れるチャンスがあれば試してみたいものだと思った。
2005年11月,地盤自然災害に関する国際学会が再びカトマンズで開催された。学会に参加したついでにポカラまで足をのばすことにした。4年前に思ったことを試すためである。定員20人の小型飛行機がカトマンズとポカラ間を運航しており,約30分でポカラに行くことができる。今回はその飛行機を利用することにした。
シャングリラ・ビレッジのテラスから見たヒマラヤ 2001年11月8日